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東京高等裁判所 昭和35年(ネ)2162号 判決 1963年2月27日

控訴人(被告) 国

訴訟代理人 横山茂晴 外三名

被控訴人(原告) 今俊清 外四四名

主文

一、原判決中被控訴人堀内肇、同高木行雄、同永山富士雄、同影山亀義、同田中鉄蔵、同千葉忠夫、同小原吉之丞、同佐藤昭二郎、同橘多橘、同森谷公平、同成田春次、同木村富次郎、同小比類巻五郎、同古山勉に関する部分を取消す。

二、前項の被控訴人らの各請求を棄却する。

三、その余の各被控訴人に対する控訴を棄却する。

四、控訴人と右第一項の被控訴人らとの間において、訴訟費用は第一、二審とも同被控訴人らの負担とし、控訴人とその余の被控訴人らとの間においては、控訴費用を控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審共被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら訴訟代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並びに証拠の提出、認否、援用は、次に附加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

被控訴人ら訴訟代理人は、

一、控訴人の後記主張一に対し、控訴人の所謂新、旧基本労務契約に夫々控訴人主張のような規定のあることは争わないが、新基本労務契約が当然に控訴人、被控訴人間の賃金決定に拘束力をもつものではない。基本労務契約(乙第一一号証)は日米両国政府間の契約であるから、これによつて控訴人が拘束されることは「当然の事理」であるが、契約当事者でない労務者がこれに法的に拘束され、これによつて労働条件が直接決定されるということはありえないのが「当然の事理」である。このような一般論だけでなく、具体的にも基本労務契約は、契約当事者たる両国政府の相手方国に対する義務を定める趣旨であることは、その形式、内容いずれの点から見ても明らかである。殊に本件の問題点である労務者の給与は、同契約の第四条に定められているのであるが、同条は標題を「補償」として「この契約の円滑な履行に対する唯一の、かつ、完全な代価として、A側は、次に定める経費(詳細は、細目書IIに規定する。)で、B側がこの契約の実施の結果として負担し、かつ、法律上支払わなければならない経費をB側に補償するものとする。」といい、その経費は、給与外のもの(たとえばI・J・K)までも含んでいる。これによつて明らかなように同条は、米国政府が日本国政府に対して補償する範囲を定めたものであつて、雇用者と労務者との間の労働条件を直接決定する趣旨ではない。

仮に、控訴人の言うように基本労務契約が規範として労働条件を直接決定するものとしても、基本労務契約は労働協約ではないのであるから、それが規範的効力をもつとするならば、それは就業規則と類似のものというべきであろう。就業規則の規範的効力は労働基準法九三条に規定されているが、同条は労働契約に定める労働条件が就業規則に定める労働条件を上まわる場合についての規定ではなく、その場合は契約の定めるところによるものであることは、学説判例の一致するところである。そうすると、本件の場合には、原判決で明らかなように、基本契約等で一般に定められる給与の基準を上まわる給与を支払うことが個々に特約されていなのであるから、かかる特約は有効であつて、基本契約の定めに拘束されない。

二、控訴人の後記主張二に対し、右事実は否認する。控訴人主張の如く、被控訴人らは、青森県三沢渉外労務管理事務所長を通じ乙第一九号証の二のような回答をしたことは認めるが、減額を承諾したことはない。乙第一九号証の二中には、「お話により今後の訴願給支払停止につきましては了承致しました」との記載があるが、これは、将来の分は支払えないことを了承したということではなく、所長の話は判つたという意味で、支払停止を承知する意味ではない。そして、右嘆願書自体にも、随所に、支払停止をうけると生活は極端に困るとの趣旨の表現が出てくるのであつて、むしろ反対する意思は明らかにされているといえよう。

と述べた。

控訴代理人は、別紙記載のとおり述べた。

(証拠省略)

理由

第一、被控訴人今俊清、同寺西静雄、同畠山豊松、同星野一郎、同大蔵次郎、同高林三郎、同檀上秀一、同金子已市、同岡村照男、同佐藤康雄、同榎本清治、同福島一美、同西村菊治、同大林悟、同佐々木茂、同沢田政雄、同関根正七、同高橋貞二、同亀谷一久、同北上音次郎、同馬淵忠雄、同前田義明、同三浦正市、同今井留三郎、同松田喜芳、同竹中武雄、同谷平幸太郎、同田代光男、同長岡一郎、同泉川幸幹、同田中初次郎の各請求について。

当裁判所は、右被控訴人今俊清他三〇名の本訴各請求を何れも正当として認容すべきものと判断する。その理由は、次のとおり附加するほか、原判決理由説示と同一であるから、これを引用する。

いわゆる駐留軍労務者は、日本国政府に雇用され、米国軍隊に対して直接労務を提供するものであつて、その雇用関係は日本国政府との間に成立し、日本国政府は雇用主としての一切の責任を負うが、その勤務関係は駐留米軍との間に成立し、労務者は軍の指揮監督のもとにこれに労務を提供する(旧労務基本契約((昭和二六年七月一日から発効))第七条、第一〇条、なお、新労務基本契約((昭和三二年一〇月一日から発効)第七条参照)という特異な労働関係(間接雇用形式)を形成するのである。しかして、駐留軍労務者は、平和条約の発効に伴い制定された昭和二七年法律第一七四号により国家公務員に非ずして政府から給与を受ける特殊の地位を有するに至つたのであるが、少くとも右給与の増減に関する限り、政府と駐留軍労務者との関係は私企業における雇主と労務者との関係と何ら異るところはないものと解すべきである。

従つて、新労務基本契約(第四条、細目書IIA節第三項)が旧労務基本契約の下において前記被控訴人らの給与額の基礎となつていた調達庁長官の特認制度を廃し、「この契約に別段の定がある場合を除き、細目書II附表Iの該当基準表のそれぞれの職種について定めた最高額をこえて基本給を支給してはならないものとする。」と規定するに至つたとしても、右労務基本契約は新旧何れも日米両国政府間で締結され、当事者たる両国政府を拘束するにすぎないのであるから、それが当然に日本国政府と被控訴人らとの間において定められていた被控訴人らの労働条件たる特認給与額に影響を及ぼし、これを新労務基本契約細目書II附表Iに定める最高賃金額迄減額変更する効果を有するとするいわれはない。右に反する控訴人の主張は、控訴人独自の見解であつて採用することができない。

第二、被控訴人堀内肇、同高木行雄、同永山富士雄、同影山亀義、同田中鉄蔵、同千葉忠夫、同小原吉之丞、同佐藤昭二郎、同橘多橘、同森谷公平、同成田春次、同木村富次郎、同小比類巻五郎、同古山勉の各請求について。

右被控訴人堀内肇外一三名の昭和三二年一〇月分迄の給与額が同被控訴人らの主張の如くであつたことは、前項と同一の理由によつて認めることができる。控訴人は、前記被控訴人らは昭和三二年一一月分以降の給与額が新労務基本契約に定める給与額に減額されることを承諾した、と主張するので、この点について判断する。

成立に争のない乙第一九号証の一、二、及び当審証人五十嵐彦四郎の証言によると、控訴人は、青森県三沢渉外労務管理事務所長五十嵐彦四郎を通じて青森県三沢基地勤務の消防士に対し昭和三二年一二月五日付で、新労務基本契約の発効した昭和三二年一〇月一日以降は従来支給してきた特認給与額の支払は認めないこと、及び既に支払済の同年一〇月分の特認給与額を回収する旨通知したところ、前記被控訴人堀内肇外一三名は、同年一二月一一日付の嘆願書と題する書面を以て三沢渉外労務管理事務所長五十嵐彦四郎に対し、同年一一月以降の特認給与支払停止については了承するが、既に支払済の同年一〇月分の特認給与額の返納は生活上困難があるので取止めて貰いたい旨回答し、以て同年一一月分以降の賃金については、新労務基本契約に定める給与額に減額されることを承諾したことが認められる。右認定に反する当審における被控訴人小原吉之丞本人尋問の結果は信用できず、他に右認定を左右すべき証拠はない。従つて、日本国政府と前記被控訴人らとの間で定められていた労働条件の内容をなす右被控訴人らの賃金は、昭和三二年一一月分以降、新労務基本契約細目書II附表Iに定める最高賃金額迄合意により減額変更されたものというべきであるから、右被控訴人らが控訴人に対し、夫々昭和三二年一一月から昭和三三年三月分まで従前の特認給与額と右新労務基本契約所定の賃金額との差額を請求する本訴各請求は理由がないものといわねばならない。

よつて、被控訴人堀内肇、同高木行雄、同永山富士雄、同影山亀義、同田中鉄蔵、同千葉忠夫、同小原吉之丞、同佐藤昭二郎、同橘多橘、同森谷公平、同成田春次、同木村富次郎、同小比類巻五郎、同古山勉を除く被控訴人らの本訴各請求は正当であるから何れもこれを認容すべく、これと同趣旨の原判決は相当であつて本件控訴中右被控訴人らに関する部分は理由がないからこれを棄却することとし、被控訴人堀内肇、同高木行雄、同永山富士雄、同影山亀義、同田中鉄蔵、同千葉忠夫、同小原吉之丞、同佐藤昭二郎、同橘多橘、同森谷公平、同成田春次、同木村富次郎、同小比類巻五郎、同古山勉の本訴各請求は失当であるから何れもこれを棄却すべく、これと異る原判決は不当であるから原判決中右被控訴人らに関する部分を取消し、その各請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九五条、第八九条、第九二条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木禎次郎 川添利起 山田忠治)

(別紙)

控訴人の主張

一、普通労務者の労働条件である賃金は、労働協約なり就業規則で決定せられるものであるが、駐留軍労務者の賃金については、労働協約は締結せられていないし、また、労働基準法第九章に規定する就業規則は作成せられていない。だからといつて、駐留軍労務者の賃金は個々人別にいわゆる労働契約によつて決定せられているものではないのである。多数の労務者を一つの事業目的に組織し統制する必要があるところには、たとえ、法定の就業規則と銘打つものがなくても、労働条件を画一的に決定する一つの規範が定立されているものである。これを駐留軍労務者についてみるならば、右規範は日本国政府とアメリカ合衆国政府との間に締結せられた労務に関する契約(以下基本労務契約と称する)であり、かつ、右基本労務契約で定められた範囲内で調達庁長官が定めた基準がこれにあたる。

日米両国政府間の契約である基本労務契約が、直接駐留軍労務者の労働条件を決定する所以について疑問を抱く向もあろう。しかし、基本労務契約において定められた労働条件に関する事項は、駐留軍労務者の使用者である日本国政府を拘束し、日本国政府としては基本労務契約に反する労働条件を決めることは出来ないものなのであるから、使用者たる日本国政府が拘束される事項に関しては、被用者である駐留軍労務者も拘束されるものであることは当然の事理でなければならぬ。然るが故に、日本国政府がアメリカ合衆国政府と基本労務契約を締結し、あるいは、これを変更する場合には、駐留軍労務者の代表者の意見をきき、かくて出来上つた基本労務契約は労務管理事務所等に備付ける等して駐留軍労務者に対して周知せしめる方法を講じているのである。

ところで被控訴人ら消防士の賃金は、昭和三二年九月一八日に日本国政府とアメリカ合衆国政府との間に締結せられ同年一〇月一日に効力を生じた基本労務契約(以下新基本労務契約と称する)が適用される以前は、昭和二六年六月二三日に日米両国政府間に締結せられた「日本人及びその他の日本国在住者の役務に対する基本契約(以下旧基本労務契約と称する)」によつて決定されていたものであつた。

旧基本労務契約第三条は、契約者に支払われるべき補償との見出しで『a合衆国政府は、この契約の満足な履行に対する完全な補償として、下記のとおり契約者に対して支払うことに同意する。(1)合衆国政府は、契約者がこの契約第一条に規定するすべての労務者が実際に勤務状態にあつた時間に対して受けたスケヂユールA所定の職務分類及び賃率に従つて算出した総給与額を契約者に対し支払うものとする。総給与額は、次のとおり定める。・・・以下略・・・』と規定し、スケヂユールAはその第四項俸給の決定という見出しで、『俸給は原則として別紙「駐留軍事務系統労務者基本給基準表」記載の最高額の範囲内において年令、性別の如何に拘らず当人の地位、技能、経験、その地方の駐留軍日雇労務者の職種別賃金、労務の需給状況、その所属部隊内および他部隊労務者の俸給との均衡を考慮して決定するものとする。但し、一地方内においては同等の勤務に対しては同等の給与をなすことを要する。「駐留軍事務系統労務者基本給基準表」に示す職種の最低を下り、又は最高額をこえて俸給額を決める必要がある場合はその理由を具し調達庁に禀議するものとする』と規定し、このスケヂユールAと同文の「駐留軍事務系統労務者給与規程」が調達庁長官によつて作られておつたのであるが、これを要するに、被控訴人らの訴願給なるものは、右旧基本労務契約に定める調達庁長官の特認制度にその存続の基盤を有していたものなのである。

ところが、昭和三二年一〇月一日より効力を生じた新基本労務契約は前記旧基本労務契約におけるが如き調達庁長官の特認の制度を廃し、その第四条に補償という見出しで「この契約の円滑な履行に対する唯一の、かつ完全な代価としてA側(註、アメリカ合衆国政府をいう)は、次に定める経費(詳細は、細目書IIに規定する。)で、B側(註、日本国政府をいう)がこの契約の実施の結果として負担し、かつ、法律上支払わなければならない経費をB側に補償するものとする。・・・以下略・・・」と規定し、細目書II第三項は、最高賃金という見出しで『この契約に別段の定めがある場合を除き、細目書II附表Iの該当基準表のそれぞれの職種について定めた最高額をこえて基本給を支給してはならないものとする。』と規定するに至つたので、調達庁長官の定めた前記「駐留軍事務系統労務者給与規程」も新基本労務契約と牴触する部分において変更せられ、ここに細目書II附表Iに定める最高賃金額をこえる従前の俸給は、右最高賃金額まで減少せしめられることとなつたのである。

然らば、何故日本国政府は被控訴人らに対して昭和三二年一〇月分の俸給として従前の俸給額を支払つたのか。日本国政府としては新基本労務契約によつて被控訴人らの俸給が減少する結果となることを防止すべく、同契約締結後もアメリカ合衆国と交渉を継続し、その成果を期待しておつたためであつた。控訴人は被控訴人らに支払われた昭和三二年一〇月分の俸給が、新基本労務契約に定める額以上に及ぶものであることをわからせるために、その超える部分の金員は別の袋に入れて被控訴人らに交付したものである。従つて新基本労務契約発効後において控訴人が被控訴人らに従前の俸給額の俸給を支払つたからといつて、控訴人が被控訴人らと個々人別に新基本労務契約に定める最高賃金額をこえて従前の俸給額をもつて爾後の俸給額とする旨の契約を締結したものとみることはできないものであることを注意したい。

二、前項において述べたところが、仮りに理由がないとしても、控訴人は青森県三沢渉外労務管理事務所長を通じて被控訴人堀内肇、高木行雄、永山富士雄、影山亀義、田中鉄蔵、千葉忠夫、小原吉之丞、佐藤昭二郎、橘多橘、森谷公平、成田春治、木村富次郎、小比類巻五郎、古山勉外青森県三沢基地勤務の消防士に対し昭和三二年一二月五日付で、同年一〇月一日からは新基本労務契約に定める最高賃金額以上の俸給は支払わない旨通知したところ、同人らは既に支払を受けた一〇月分の俸給は別として、一一月分以降の俸給額が新基本労務契約に定める俸給額に減額されることを承諾したものであつた。従つて、右に掲げた被控訴人らについては、合意により俸給額が減少せられたものであるから、従前の俸給額との差額を請求する本訴請求は理由がない。

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